余白

父との会話がきっかけで、方丈記を再読した。そこらを歩いていた人が突然倒れてそのまま死んでしまう、という描写が、何度読んでも強烈に感じるものだ。自分の人生を特別だなんて思わず、運に期待せず、執着しない、去るべき時に去ることができたら。それでも俗世が気になってしまう様子が伺えるのが方丈記のかわいいところ。

 

方丈記を読んだ後にそのまま六本木の李禹煥展を見に行った。方丈記よりよっぽどストイックに煩悩から離れた世界だったかも。何もない空間や余白を味わう作品が多いのだけれど、その完璧に配置された余白に闖入する自分の体と、存在とを、嫌でも感じ取ってしまう。でも妙に頭と思考がすっきりと、清澄になる。現代アートの展示というより、瞑想体験のようだった。

 

手放したい、軽くなりたい。そう願いながらも、バブル期の人のような物欲の私は、三越のポップアップストアでお洋服と靴をしこたま買ってしまった。さらに、贅のカリスマとでも言うべきフィッツジェラルドの『夜はやさし』に煽られて、今はカイザーシュマーレンが無性に食べたい。明日仕事帰りにカフェ寄ろうかなあ。