月蝕

ふと月蝕の日のことを思い出した。仕事を終えて帰る途中、人の塊をいくつも見た。皆同じ方向を見上げている。その先を探すと、高層ビルの隙間から真っ赤な月が見えた。ちょうどルビーグレープフルーツの色に似ている。血の色のようにも見えるけれど、もっと透き通っていて、宝石が夜空に貼り付いているみたいだった。燃えるようなと言うよりは、どちらかというと冷たそうだ。
都会だと、空が見える場所は限られている。そうした場所に点々と、人が集まっている。何をする訳でもなく、普段は通勤電車の中でスマホの画面ばかりを見つめている人たちが一様に、同じ月を眺めている。常に放射状に人が散ってゆき、波のように果てなくうねるいつもの都会の景色からは想像もできない。驚くような静止と静寂だ。
誰も何も話さない。無言で、放心したように、ただ見上げている。SF映画の一場面でも見ているのだろうか。宗教的な、儀式めいた雰囲気がそこにあった。

なんだか屈してはいけないような気持ちになって、私は絶対に立ち止まらなかった。駅を目指して歩き続けた。ときどき月の位置を確かめながら。