私はコーヒーを買いに来ただけだったが、数分もすると、コートが、ブラウスが、ハンドバッグが欲しくなった。つまり頭の中で、自分にたくさんのコートやブラウスを次々に着せてみていた。たおてば、黒のオーバーコート。私はすでに黒の七分丈のコートを一着持っているにもかかわらず(けれど、同じではない、同じであることなんて一度もない。欲しいデザインの服と持っている服の間に無限にある違い、襟、丈、生地、等々)——。無差別に全ての服が欲しくなり、最も重要で緊急のことは一着のコートか一点のハンドバッグを買うことだと感じる奇妙な状態。外へ出ると、私の欲望は冷めた。
アニー・エルノー『戸外の日記』堀茂樹訳、早川書房、1996

 

見てみると、これは1986年に書かれた文章だそう。この頃はお店を出たら気持ちが冷めたのだろうか。それなら心底うらやましい。今はお店を出ても、インターネットがどこまでも着いてくる。むしろ欲望が高まるのは、深夜にベッドの中で意味もなくスマホ画面を眺めているときだ。真っ暗な部屋で、青白く発光する画面が呪いのようで、くっきりと燃え上がる欲望を映し出している。私はあまりにも苦しくなると眠ってしまう。目が覚めたとき、欲望は薄くなっている。あくまでも薄くなっているだけ。夜になればまた思い出される。