fantasy

大人になるとファンタジーがさっぱり頭に入ってこない。とよく母が言っていた。子供だった私は、そんな日は来ないでと願って、ハリー・ポッターが楽しくなくなってしまうことが怖かった。その一方で、早く大人になりたくて仕方なかった。ファンタジーが楽しいのは、外の世界と、自分の限界を知らないからだ。自由を手にした瞬間、目の前に立ち現れるのは現実だ。ファンタジーも自由も、制約があるから魅力的なのだ。
ラッキーなことに比較的ファンタジーに抵抗のない大人になったけれど、昔ほど純粋に楽しめているのかはあまりわからない。自由と現実を味わっても、ファンタジーを愛せる大人を、ファンタジーを創造できる大人を、本当の意味で何にも捉われず真実を語る人を、私は尊敬してやまない。

その女の子は紛れもなくお姫さまだった。すその長いトルコグリーンのドレス、そしてつややかなブロンドの髪の上には銀のティアラをのせている。でも、お姫さまだとわかるいちばんの決め手は、その非難がましい目つきだった。
ロドリゴ・ラウバインと従者クニルプス』、ミヒャエル・エンデ、ヴィーラント・フロイント、木本栄訳、小学館、2022

junaida展は、子供の頃の空想に満ちた夜を思い出す場所だった。